沖縄タウン横浜市鶴見区。こちらで琉球舞踊の教室を開設されている「野原千鶴のはらちづる」先生をご紹介致します。
鶴見で生まれ育った沖縄出身2世の先生
野原先生のご両親は沖縄出身(現八重瀬町)で、横浜市鶴見区に移住してきました。先生は鶴見で7人きょうだいの5番目として生まれ育ったそうです。
小さい頃から沖縄芸能が日常生活にある中で育ち、高校卒業後には劇団東演で舞台女優としても活躍されていたとの事。その劇団の演出家が琉球舞踊家 児玉清子師匠の舞踊劇の演出もしていたご縁で児玉清子師に出会い、1970年 昭和45年(21歳)の時より琉球舞踊を本格的に始める。昭和52年に名取教師免許を取得されます。(私が生まれた年です!)2001年(平成13年)に琉舞鶴之会野原千鶴琉球舞踊研究所を開設し現在に至る。
教室のご案内
野原先生の「琉舞鶴之会」のお稽古は現在、毎週火曜日17時頃から「横浜鶴見沖縄県人会館3Fホール」で行っております。月に2回土曜日には「寛政中学校コミュニティーハウス」で行っております。ホールが取れない時は先生のご自宅でも行ってます。
興味のある方はぜひ野原先生へご連絡ください。
(お問い合わせ先)090-2548-4455(野原先生)
鶴見エイサー潮風の立ち上げに
鶴見区制70周年記念行事をきっかけに誕生したのが「鶴見エイサー潮風」さんです。当時鶴見にはエイサー団体が無く、野原先生自身の舞踊教室にはエイサー踊りを取り入れていた事もあり、鶴見区制70周年イベント「サルビア祭り」のパレードでエイサーをやろう!と提案する。団体立ち上げに尽力されたそうです。
また、先生の提案で「安里屋ゆんた」の手踊りを創作し、今でも鶴見エイサー潮風にて受け継がれ大切に踊られているとの事です。
今後の展望
野原先生の元で育った数々のお弟子さんたちが、今では師範や教師として各地で活躍されているそうです。野原先生の意思を引き継いだそれぞれの教室の発展を願っているそうです。
鶴見という地で若い世代へまた沖縄伝統芸能は確実に引き継がれているのです。本当にすばらしい。
そして、沖縄にある「国立劇場おきなわ大劇場」にて60歳(平成20年)70歳(平成30年)と里帰り公演を開催してきた先生は「80歳でもがんばって開催しますよ~」と語っておられました。
まだまだお元気だ!
野原先生ありがとうございました。